アグネス・チャンさんの講演(2)このページを印刷する - アグネス・チャンさんの講演(2)

2013年6月8日開催 第14回" がん診療アップデート 住みなれた場所でともに生きていこう 開催レポート
 がん診療アップデート会場
 開講の挨拶
 森川 栄司 先生の講演
 中山 マキ子 先生の講演
 長尾 充子 先生の講演
 森 景子 先生の講演
 アグネス・チャンさんの講演1
 アグネス・チャンさんの講演1
 閉講の挨拶
   
アグネス・チャンさんの講演(2)
 
がんの発表から退院まで
 
手術が終わり目が覚めたら看護師さんや先生が「転移してなかったよ!」と言ってくれ、姉は「オッパイが残っていたわよ!」と言ってくれ嬉しくて涙がでました。オッパイは残りました。しかしもし全摘であっても慌てなくていいんです。再建手術というものがあって優れもので程度にはよりますが再現できるみたいです。ですので全摘って言われても慌てなくていいです。
 
さて退院予定日10月5日の次の日からは講演会やコンサートのお仕事が入っています。しかし吐き気が収まらず食事が喉を通りませんでしたので、先生が様子を見たいということで退院は出来そうにありません。よっぽどの理由がない限り6日7日8日の仕事をキャンセルするということはできません。つまり入院したことを発表しなくてはいけない、がんになったことを発表しなくてはいけない、ということだったんです。
姉も母もがんと言ったら周りは傷物としてみるという。しかし私は発表しようと思いました。発表した上で元気でニコニコ生活できるのを証明すれば、傷物として見る人も差別しないようになるだろうと考えたからです。発表すると、それはもう沢山の方から励ましの声を頂きました。こんなに愛されていたのかと感激しました。
 
そして仮退院が1日だけ許可されました。しかし一回は外食するようにと先生に言われました。外食に出かけたら何故かすごく混んでいて唯一空いていたのがインドカレー屋さん。入ってすぐに「おー元気そうですね!」と言われました。インドの方は日本の新聞を読まないんでしょう。私は「あ、元気そうって言われた。彼から見たら私は全く普通に見えたんだ。そうか自分だけ意識してるんだなあ。」と思いました。自分が意識しなければ周りも意識しないんだなあと。なんか重い荷物がサーと降りました。それから我家では毎年10月1日はインドカレーよ。おかげさまで気持ちも明るくなって先生からもOKが出て退院しました。9日にイベントに出席し、10日はコンサートしました。その後の中国の人民大会堂コンサートも無事できとても沢山の人達がきてくれ大成功でした。
 
帰ってきてすぐに放射線治療が始まりました。放射線治療というのは、取り残したがん細胞があるかも分からないのでそれを放射線を照射してやっつけるというものです。私の場合は2ヶ月毎日通って治療しました。放射線治療の次はホルモン治療です。多くの乳がんは女性ホルモンをエサにして大きくなるんです。女性ホルモンが多いと再発しやすいと言われてるので1つの再発予防方法として女性ホルモンの作用を抑えることなんです。薬を飲むだけなんですが5年間受けるんです。これが私にとってはすごく大変な治療でした。
 
治療薬の副作用
 
一週間経たないうちに様々な更年期障害が出て来て本当に辛い日々が続きました。コンサートの日々が続いていたある日、鏡を見たら顔が倍ぐらいに腫れていたんです。アレルギーの薬を飲んでも治りません。しかしもう開演時間が来ました。緞帳が上がった瞬間、みんな声を出して驚きましたね。1曲目終わって紹介が終わっても拍手はまばら。しかし2曲目のひなげしの花を歌ったんです。そうしたら拍手がおこりました。やっぱりこの人はアグネスだったんだ。アグネスはテレビ映りが良いんだなあと思われたかも知れません。でも大事なことを教えてくれました。見た目じゃないということ。確かに顔が少し歪んだ、おっぱいが少し小さくなった、顔も倍ぐらいになった、でも歌なんだ心なんだと教えてくれました。とはいえ、一度腫れると一週間収まらないのでストレスが溜まりました。
 
しかし私は薬を止めませんでした。その理由は、子供が中学になるまでは死にたくないと思ったから。手術する前の日も神様にお祈りしました。5年間ください、私一生懸命恩返ししますから、と。飲みはじめて2年半ぐらい経ったとき、関節の痛みなどの症状が治まって来ました。もしかしてアレルギーの薬を止められるかもと思い止めてみたら、腫れませんでした。体が慣れて来たんですね。
 
それからずっと飲み続け、今年の正月に薬を飲み終えました。今薬を飲んでいる友達や周りの人がいたら、体は慣れてくるし治りますからと励ましてあげてください。飲み終えて半年ぐらい経つんですが、今はすごく調子がいいんです。何でも美味しいし副作用で抜けた髪がどんどん出て来ています。しかしまだ7月6日に先生と相談してあと5年間のみ続けるかどうかを決めなくては行けません。皆さん、よくがんばったねと声をかけてくれますが、他のがん患者さんの副作用にくらべたら本当に軽いものです。
 
私の乳がん仲間は早期ではなくまだ若い方だったので再発を繰り返しました。その度に辛い治療を受けていてお金もかかります。彼女は小さい子が居たので死んで行く私にお金を使わずに子供に残した方が良いんじゃないのかって言いました。でも私たちは、子供にとっては一日でも長く母親のそばにいられることが一番の宝なんだから、お金の心配をしちゃいけない、子供は背中を見て成長するんだからって励ましていました。しかし昨年残念ながら亡くなりました。そのお子さんの小学校一年生の入学式に行けたのが唯一の救いでした。私たちはこの子はお母さんの一生分の愛情を受けたんだから絶対いい子に育つから大丈夫だよって送り出しました。
 
現在、これさへやらなければがんにならない、私たちなぜがんになるの、っていうのはまだ分かっていません。この薬飲めば絶対がんにはならないですし飲めば必ず治りますっていう薬もありません。自分を守る為に唯一出来ることは、早く見つけることです。早期発見であれば、5大がん(肺、胃、肝、大腸、乳)は治療出来て長生き出来ます。だから検診はとても重要です。
 
現在日本では自分のことは後回しにしてしまう人が多いので検診率は30%です。しかし自分が倒れたらすぐに周りに迷惑がかかります。周りの人の為にも自分の体は守らなくてはいけません。だからぜひ検診には行って欲しいと思います。私がこうやって人の前で話すのも、私みたいに早期発見の人を増やしたいからです。
 
命は終わらない。毎日が誕生日だよ。
 
私はリレーフォーライフからたくさん学びました。ひとつは命は終わらないこと。例えば先に亡くなったリレーフォーライフの先輩達。彼女達はこの世にはいませんが私は彼女を忘れず彼女がやろうとしていたことを勉強して一生懸命活動しています。だから彼女達は私を通して生きているんです。まさしく命のリレーなんです。
 
それだったら走れる時は明るくさわやかにできるだけ長く走りたいと思いました。先程も言いました神様との相談の件なんですが、うちの子が高校生になった時もう一度神様に相談しました。この前から5年経ったんですがまた相談したいんですと。しかし祈り始めたら言葉が出なくなりました。5年間も生かしてくれた。感謝の気持ちがいっぱいでそれ以上頼めなくなりました。
 
結局神様に任せることにしました。しかしこれはがんになったから思えたことなんだと思います。本当は生まれた時から任せるという気持ちで生きていればどんなに毎日が輝いたんだろうと思いました。いつ死ぬかが分からないからこそ生きているのが素敵で楽しいのかな、一日一日が大切なんだって思いました。
 
私はがんになる前の自分よりがんになった後の自分のことの方が好きです。人の痛みも多少分かる様になったし、自信過剰もなくなりました。命は当たり前ではないので大好きな言葉が出来ました。それは「毎日が誕生日」です。毎朝起きる度に「良かったね、今日も元気だね、Happy Birthday to me」なんです。その感謝の気持ちをこめて歌を作りました。「この良き日に」という歌です。今日の最後の締めくくりは歌を歌って締めくくりたいと思います。
 
 
大阪南医療センター 中村しをり 看護部長より花束の贈呈