アグネス・チャンさんの講演(1)このページを印刷する - アグネス・チャンさんの講演(1)

2013年6月8日開催 第14回" がん診療アップデート 住みなれた場所でともに生きていこう 開催レポート
 がん診療アップデート会場
 開講の挨拶
 森川 栄司 先生の講演
 中山 マキ子 先生の講演
 長尾 充子 先生の講演
 森 景子 先生の講演
 アグネス・チャンさんの講演1
 アグネス・チャンさんの講演1
 閉講の挨拶
   
アグネス・チャンさんの講演(1)
 
アグネス・チャンさんのご登場
 
アグネス・チャンさんのご登場です。
 
アグネス・チャンさんのご登場
 
今日のテーマ「明るくさわやかに生きる」ということですので、私ががんになった話をさせていただこうと思います。先程の先生方のお話を聞いておりまして、いろいろと患者さんのことを考えていただけてるんだなあ、いろいろと相談した方がいいんだなあと思い安心しました。
 
自信過剰でした
 
私の名前はアグネスなんですが、いつもニコニコして元気そうだからアグネスと呼ばずに「タフネス」と呼びます。あいつはいつも元気だねタフだねとあまりにも言うものだから、私も自分でタフだな、病気にはならないわ、と思っていました。それは自信過剰でした。そんな人間はいません。
 
最初ドキっとしたのは2006年に耳の裏が腫れているように思ったので病院に行こうと思ったのですが、私は自分でタフだと思っていたのでかかりつけの病院はありませんでした。私は3人子どもがいて小児科には行くことがあったのでその先生に相談してみました。でも様子見てみましょう大丈夫ですよ、ということで1週間、2週間、1ヶ月と様子を見たのですが腫れは引かなかったのですがすっかり忘れてしまっていました。
 
その年の秋にたまたま里帰りするチャンスがありました。私は6人兄弟なんですが1人姉が医者をやっているんですがその姉に腫れのことを思い出したので相談してみたんです。すると医者である義理の兄に電話をかけて何やら話を始めたと思うや「今から検査いこうか」と言うんです。ですから次の日超音波検査を受けて結果を姉のクリニックに持って行き診て貰いました。
 
そうすると唾液腺にゴルフボールぐらいの大きさの腫瘍ができてることが分かりました。 そしてその年の12月に香港に行って手術を受けました。麻酔から覚めると看護師さんが「良性だったのよ」と言ってくれたので安心しました。しかし右側の顔面に麻痺が残り動かすと顔がゆがむようになってしまいました。しかし命が助かっただけ良かったと神様に感謝しました。
 
翌年の2007年は来日35周年で平和の歌を新しく作りコンサートツアーに出ようと計画しました。新曲も作って3月7日に発売も決まっていましたが顔が治らない…こういう顔で歌ったら迷惑かけるなと思いました。そしていよいよ3月7日になってしまいました。朝に歯磨きをしているときです。あれこぼれていない!しかもアイウエオが出来た!そうです突然その日に私の顔が治ったんです。それは本当に嬉しくて、その後もさらにコンサートをいっぱいいっぱい入れました。そして9月30日に中国の人民大会堂でコンサートを開くことになったのですが、8月ごろに延期の要望があり3月31日に変更になりました。その時はついてないと思ったのですが、結果的についていたんです。
 
意識が高まったからこそ自分の胸を触ったときも気づいた
 
中国の人民大会堂でのコンサートが延期されたこともあり、9月に少しスケジュールに余裕ができました。ある日寝転がってテレビを見ていた時でした。
 
右胸がかゆいなあと思って掻いたらしこりがある?と思うことがありました。かかりつけの先生がいないのでお世話になったことがある産婦人科の先生に相談し超音波で見てもらったところ何かある。ちゃんとした総合病院で診てもらう様に勧められマンモグラフィを受けました。マンモグラフィは受けてください。受けて後悔しないです。噂通り痛いです。服を脱いで胸を左右から透明な板で挟むんです。そしてレントゲンを撮ります。次に上下からも挟んで撮影します。痛いのは一瞬だけです。マンモグラフィは受けた方が良いです。乳がんというのは早く見つけるとそんなに怖くない病気なのです。遅れてしまうと治療も大変だし生存率もドーンと下がってしまいますし、再発する可能性も多くなってしまいます。私がラッキーなのは早く行ったからです。
 
私はタフなのになぜしこりに気づいたのかというと、ひとつは以前の唾液腺腫瘍のことがあったから、もうひとつはしこりを発見した一週間ほど前に芦屋で行われたある活動に参加したんです。それはリレーフォーライフ(命のリレー)という活動で、がん患者あるいはその家族や一般の方が24時間タスキを繋いで歩いたり走ったりするんです。それによってみんなのがんに対する意識を高める、という活動なんです。参加されてるがん患者さんや関係者さんはすごく前向きに生きていて輝いていて感激しました。だからその活動のおかげで意識が高まったからこそ自分の胸を触ったときも気づいたんですね。
 
検査ではやはり何かあるということになり組織検査をしました。結果が出るまですごく長いんです。その検査結果が出る予定の日も待っていましたがなかなか電話がかかってこない。もう23時前なのに夫が電話してみるといって電話してみたら先生がおられて夫は話し始めました。夫の顔がどんどん暗くなっていって結果は乳がんでした。すぐに先生のところに向かいました。 その車の中で悔しくて涙が出ました。
 
私は遺伝的にも乳がんになっている人はいませんし、3人の子どもを母乳で育てましたのでリスクが低いと言われてましたし、タバコもお酒もしませんし、暴飲暴食もしていません。運動はしていませんでしたが、結婚相手に長生きして欲しいので母から教わった薬膳料理を作っていました。ですのでなんで私が乳がんにならなければいけないの?と泣きましたが、慌てている夫を見て、がんになった本人より周りの人の方が大変なんだと思いました。変わってやれないし痛いのか痒いのかもわからないしどう接すれば良いのかが分からないし、女性が倒れた場合は次の日から大変になりますし慌てるのもしょうがないかなあと思いました。
 
先生はリンパに転移する前に手術をしたいと仰りました。しかしスケジュールに空きがない。どうしようと考えましたが唯一空いている期間がありました。そうコンサートが延期されたあの9月30日の前後の期間です。手術日はなんとピンクリボンの日(乳がんの日)10月1日に決まりました。9月30日に医者の姉がやってきました。妹のオッパイ全部取っちゃってくださいと言うんです。しかし先生は残したいということで意見は平行線。私は転移していない範囲は残してくださいと頼んで手術室へ入りました。