原 千晶さんの講演(3)
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ここからは私が立ち上げた「よつばの会」の話をさせていただきます。
最初はがんを公表した時に、自分のブログに全国の様々な女性たちから、たくさんのコメントをいただきました。そのコメントをひとつひとつ読みながら「はー、私だけじゃないんだあ。」とものすごく救われた気持ちになりました。闘病中は隠れるように眼鏡をかけたりマスクをしてバレないようにしていたので、とても孤独な闘病生活だったんです。そんな気持ちを勇気づけてもらい「これは直接会って話をしたい。」と思い”よつばの会”という名前をつけて、一回3時間なんですが10人前後の女性が集まって「私はこうだった。あなたはどうだった?」ということをみんなで話をするという会を立ち上げました。2011年7月に約20人ほどの方たちと初めて自分以外の婦人科がん患者様とふれあいました。
その時、彼女はTC療法をやっていたのですがカルボプラチンという薬にアレルギーが出てしまいその薬を使えなくなったりしながらもなんとか治療を終えることができました。しかし、その後遠隔転移をおこしてしまったのです。脾臓と肝臓に影が見つかってしまいました。通っていた大学病院の先生からは「早いうちに緩和ケアを予約しといた方が良いですよ。」と見放されたようなことを言われて泣きながら話してました。私はそのたびに「そんなことないよ。大丈夫だよ絶対に。まだあるよ。」と一生懸命励まし続けていました。もちろん彼女は生きる気持ちをずっと持ちながら一生懸命治療に向き合ってました。彼女は治療を繰り返していたので髪が伸びてることなくいつもウィッグをかぶっていました。ジムザールという膵臓がんに使う薬だけど効くかもしれないということで一生懸命その治療を受けていました。ジムザールは髪が抜けないので少しずつ髪が伸びてくるんです。そんな彼女を見て絶対大丈夫だと思い一生懸命励まし続けていました。
明日が三回忌なんです。今日新幹線で河内長野に向かってくる途中「ああ、もう三回忌なんだ。」とずっと彼女のことを思いながらやってきました。
私ははじめてがんで亡くなっていく方の姿を見ました。
あんなに綺麗で若々しくてものすごく可愛らしかった人が、ある時を境に急に具合が悪くなって。それまで一緒にご飯食べたり、時にはお酒を飲んだりもしていたのに食べられなくなって、お腹に腹水がたまって腹膜播種というのをおこしていて、お腹の中はがんだらけだったんです。
でも最後に、私が地方にロケに行っているときに「千晶ちゃん、私もうだめかも。ギブアップかもしれない。ちょっと緩和に避難してくる。でも絶対帰ってくるから。」ってメールをくれました。緩和ケアの方たちは本当にいい方たちばかりだったようです。一度「元気になって何がしたい?」って彼女に聞いたことがあったんです。すると「結婚式あげたい。明治神宮で打掛着て。結婚してすぐ病気わかっちゃったから結婚式あげてないから。」って。それを友達が実現してくれました。緩和ケア病棟のデイルームみたいな少し広くなった場所があるんですが、そこに神主さんを呼んで打掛着て白無垢着て旦那さんも袴着て結婚式あげたんです。それは亡くなる三日前でした。そのあと意識がなくなって、私はロケが終わってかけつけました。その時には呼びかけても全く分からない様子でした。でも目は宙をさまよって必死で何かを訴えてるんです。私が呼びかけてもそんな状態だったんですが、旦那さんが寄り添いキスをすると、彼女は両手を一生懸命上げて彼を抱こうとするんです。その時「本当に好きな人と結婚したんだな。」と。私たちはお父さんお母さんから生まれて、独立して大人になり好きな人が出来て結婚して家族を作ってお母さんになって…と普通だったらたどっていくんだけど「自分のこのハートで選んだパートナーっていうのは本当に本当にかけがえのない存在なんだなあ。」と思いました。
普段は講演会ではこの話はあまりしないんですけど、今日は明日が彼女の大切な三回忌だし、この河内長野の方々にその”のんちゃん”の話をしたいなと思ってきたのでお話しさせて頂きました。
私の話でも少しお分かり頂けたと思いますが、がんという病気は最初が肝心なんです。早期発見・早期治療って口酸っぱく言ってるかというのは、こういうことだからなんです。私だって最初の段階で先生の言うとおり子宮を取ってがんという病気の芽を確実に摘み取っておけば、抗がん剤治療することもなかったかもしれない、大変な思いをすることもなかったかもしれないんです。
自分の手元にみんな平等にがん治療のカードを同じ枚数手渡されていたとします。私の場合は一回目の手術で一枚目、二回目の手術で二枚目、抗がん剤治療で三枚目使っています。あと二枚のカードしかなくそのカードを使い切ってしまったら、死を待つしかなくなる。というのががんという病気なんです。これは進行がんに限ったことです。初期で見つかって手術や抗がん剤治療を受けることができてちゃんとその芽を摘むことができれば、5年10年20年30年と生きることができる。今それだけがんの治療も発達してますし検査の精度もものすごく上がってます。
この会場の中には私と同じようにがんを経験された方もいらっしゃるかもしれません。皆さんそれぞれの気持ちがあるでしょう。がんを経験した人は全員「早く病院へ行けば良かった。」と言います。ちょっとした手術でがんが治った人は「早く病院へ行って早く検査して良かった。」と言います。そうすると自分の体と命を守れ、自分の家族を守れるのです。だからどうか皆さん、自分の体を人生を大事にして欲しいです。
大阪南医療センター 中村しをり 看護部長より花束の贈呈
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