原 千晶さんの講演(1)このページを印刷する - 原 千晶さんの講演(1)

2014年5月17日開催 第15回 がん診療アップデート がんの予防・早期発見 開催レポート
  がん診療アップデート会場
 開講の挨拶
 細野 眞 先生の講演
 神戸 章 先生の講演
 堀内 哲也 先生の講演
 陰山 麻美子 先生の講演
 原 千晶さんの講演(1)
  原 千晶さんの講演(2)
 原 千晶さんの講演(3)
 閉講の挨拶
 
原 千晶さんの講演(1)


原 千晶さんのご登場

原 千晶さんのご登場です。

原 千晶さんのご登場

今日はこのような大変意義のある回にお招き頂き有り難うございます。
先程の先生方のご講義を楽屋の方で聞いておりましたが、がんという病気に対する意識というのがまだまだ変わらない部分、検診率もなかなか上がらない部分はあると思いますが、きっと今日ここにお越し頂いた皆様はそれぞれ一人一人の背景があってきっと何かこの会で得ようと考えてお越し頂いてると思います。今日は約1時間少しですが、私のがんに経験を率直にお話しさせて頂こうと思います。

病院に行くまで

この間40歳になったのですが、この10年間はがんというものに向き合わざるを得ない10年間でした。今ここに立って皆さんの前でお話しさせて頂くことも自分としては大変嬉しく思っていますし、ちょっと前までなら考えられない状態でもありました。今日のこの講演の後も、お話ししたことが会場を飛び出てがん検診の大切さというものが少しでも多く伝わるようにと願ってお話しさせて頂きます。私自身の経験ですので、皆さんに当てはまらない場合もありますがどうか聞いてください。

まず私は30歳の時に子宮頸がんという病気になりました。もともと私は14歳の時に初潮が始まってそれから毎月生理をむかえるのですが、ちょっと調子が悪くなると片側の卵巣が少し腫れてみたりとか感染症を起こしたりといったことが割とある方で、学生の頃から婦人科に通うのは当たり前の10代を過ごしました。


私自身の病歴をお話しします。実はがんだけでなく、10歳の時に甲状腺機能亢進症(バセドウ病)という病気に罹ってしまい入院をしてメルカゾールという甲状腺機能が活発になるのを抑える薬をしばらく飲んでいました。そういうホルモンの代謝という点ではあまり良くないなあというところがありました。そういうことも抱えながら10代を過ごし20歳の時に芸能界へ入りました。そこからは本当に一生懸命自分も活躍したいということで頑張ってがむしゃらに20代を駆け抜けました。実は29歳の時に思うところがあり一年ほど芸能会のお仕事をお休みしたことがありました。その間にアロマセラピーの資格を取ったりして過ごして、そろそろもう一度芸能会のお仕事を頑張ってみようかなと思っていた矢先のことでした。急に体調がガクっと悪くなってしまったんです。

その時の症状というのが、毎月生理は定期的に毎回来るんですが、どんどん経血の量が増えていったんです。ただ30歳になってましたので何となく「年齢のせいかなあ。」と思いながら過ごしていたんですが、他に少し気になる症状がありまして、おりものの異常がありました。女性なら経験があると思いますが、生理の前後に膣から出る分泌物があるのですが通常であれば乳白色なんですが、時々見るからに血の混じった何だろうコレといったようなおりものが付くようになっておりものシートが手放せなくなっていきました。

それは自分の中でも衝撃で「おかしいな。おかしいな。」と思いながら過ごしていたんですが、それも「年齢のせいかなあ。」と思いながら過ごしていました。しかしいよいよ病院に行こうと思うことがおこりました。下腹部にドーンと重い鉛を抱えている様な嫌な感じの痛みが続くようになりました。通常であれば生理の前後に腹痛があります。私も生理痛は重たい方だったのでそうであれば普通だったのですが生理ではない時もお腹がずーっとシクシク痛かったんです。それと体勢を立ったり座ったりと変えるときに差し込まれる様な痛みが下腹部に走るようになり「なんだろう。痛みが続くのはおかしいな。」ということで紹介してもらったクリニックに行きました。

検査からがん宣告まで

先生に診てもらっているときに「あれ。何か子宮の入口にちょっとできものがありますねえ。」と言われました。それで「できものって何かなあ。」と思ったんですが「子宮頸部に大きさ1cmぐらいのものなんだけど、これは取って詳しく検査をしてみないとわかりません。とにかくウチでは手術も入院もできないので大きい病院に行ってください。」ということで東京都内の大学病院に行きました。そちらでもやはり同じような診断でCTスキャンやMRIやPET等の検査を受けました。結果、できものを取りましょうということになり、2005年2月あと二ヶ月で31歳になろうとしている時でしたが、5日間入院して円錐切除という、膣からできる子宮頸部を円錐状に切除する手術を受けました。今では日帰りでおこなえる比較的体に負担の少ない手術なんですが、私の場合は入院をして全身麻酔で1時間程の手術を受けました。

術後の経過はすごく良く次の日から何でも食べられる状態であっけなく済んで術後3日後にはお家に帰っていました。本当にあっという間で「こんなんだったらもっと早く手術受けとけば良かったな。」と思うぐらい体調も良くなって、それまで続いていた腹痛やおりものの異常や出血が続くといったこともなくなり、ウソのように良くなったんです。
ちょっと話は逸れますが、父はずっと転勤族で私は北海道の帯広市で生まれました。その後も各地を転々としココ大阪にも幼稚園の時に枚方市に住んでいたこともありましたし、その後もまたいろいろと転々としてたのです。私がその病気になった当時は両親とも北海道に戻って住んでおりました。

その術後二週間後に採取したできものの検査結果を聞きに行くんですが、母は心配して北海道から来てくれました。自分としては悪いところも取ったし先生からは「大丈夫だったからもう来なくていいですよ。」と言われて終わりだろうと思いながら母親と一緒に結果を聞きに行きました。
病院に到着して外来にいきました。夕方の一番最後の患者でもうすでに誰も居ない待合室で待っていて、名前を呼ばれて母と二人で診察室に入っていきました。

先生のいる前の椅子に座ろうとした瞬間に「こないだの取ったあれだけどね。がんだったから。」と本当に突然とあっさりと言われたんです。がんの種類は扁平上皮がんといわれる子宮頸がんの中ではスタンダードなタイプのがんでステージは1Aの病期でした。各地いろいろ講演させて頂この話をさせていただくたびにこの話を冒頭にするんですけど、本当にその時の心境は大きなハンマーで後頭部を殴られたような衝撃で、冗談でも何でもなく「ガーン!!」という心境で頭は真っ白になりました。先生は続けて「調べた結果あまり顔つきのよくないものだったし、再発したりしたら大変だから、今度は早いうちにお腹を切って子宮を全部取った方がいいと思う。」と言われたんです。私はがん告知も非常に衝撃的だったんですが、子宮を取らなくてはいけないっていう先生の言葉の方がびっくりして絶句してしまい涙が止まりませんでした。

その時私の隣で母は全部一緒に聞いているんですが私の手をギューーーっと握ってきました。母も何かに掴まっていないと崩れ落ちそうになったのかもわかりません。とにかく子宮を取らなくてはいけないという告知をされるとはまさか夢にも思ってませんでしたので、本当にショックで。でも先生は続けて「今なら子宮を取るだけで済むから。」と言いました。

この言葉、あとになってからすごく身にしみてくるとは想像も出来なかったんですが、その時の私はその言葉の重みを全く理解することが出来なかったんです。出産しこの手に我が子を抱いてみたいと思う私にとって、先生の「子宮は全部取った方が良い。」という宣告はあまりにもショックでした。その時は先生の話を半分も聞くこともできずに泣き崩れながら帰りました。その時に母が「お母さんはあなたがいないと困るのよ。」と涙をこぼしながら訴えかけてきたんです。確かに「ここで死ぬわけにはいかない。」と思ったんですが、私にとって、がんと言われたからイコール死だとかではなくて、子宮を取らなくてはいけないという宣告の方がずっとずっと重たくて心の中にズシーンと響いたままでいました。

子宮を取るか、取らないか

そこから私の気持ちとしては「がんかあ。とんでもないことになったな。まさか私にそんなことが降りかかるとは。ましてやまだ30歳という年齢でがんという二文字が迫ってくるなんて。」という心境でした。でも「そうはいっても円錐切除手術で悪いところはきれいに取ったんだ。」と考えました。そして先生にも「悪いところはきれいに取ったんですよね。今私の中にはがんはないんですよね。」と何度も聞きました。先生は「悪いところはきれいに取りました。」と言いました。そう言われると「今このお腹の中にはがんはないのになぜ取らなくてはいけないの?」と思いました。医者として再発・転移を予防する予防的見地から、もう一度子宮にがんができないように、他の臓器に遠隔転移させないためにも子宮を取ろうということなんだろうし分かるんですが、今ここにがんがないのに女性にとって新しい命を産み育むものすごく大切な臓器を取らなくてはいけないのかがどうしても理解できなかったんです。

ただし母にも「いなくなってもらっては困る。」と言われ、北海道で留守番をしていた父親にも言われました。実は私が子宮頸がんになる5年程前なんですが、父は大腸がんを経験しており手術をして抗がん剤治療までおこなった経験もあり、私よりもずっと知識はありました。そんな父に報告したら「孫の顔とかそんなこともうどうでもいいから、おまえが生きててくれ。」と泣きながら言われました。父が娘のことで泣く声というものを初めて聞いて私も一緒になって泣きました。そういった両親の説得や所属事務所の社長とかの説得により手術を受けることにしました。

その手術は2005年4月12日に予定され同意書にもサインをしてもう一度詳しい検査をしたり、自己血輸血用の血液を400~800cc程採っておくこともして準備をしていました。しかしその準備期間が一1ヶ月程あるので一度は手術をしようと決めたものの振り子のように気持ちは揺れ続けるのでした。ある時を境にパーンと振り切れてしまいました。「なんで私ばっかりこんなに悩まなくちゃいけないの!苦しまなくちゃ行けないの!」とたまらない気持ちにまり「いいや。再度がんに侵されるかどうかは神様ですら分からないかもしれない。それは誰にも分からない。だったら何とか逃げ切って、いつか妊娠して出産してその時に子宮を取ればいいじゃないか。」というふうに考えてしまったのです。
結局、手術入院の前日に先生にキャンセルの電話し、翌日先生に直接話しに行きキャンセルしました。その時先生からは「じゃあ経過観察のために月に一回は必ず検診を受けるように。」と言われそうすることにしました。
いまこの会場におられる方は様々なご意見があると思います。「バカだなあ。手術受けなくちゃ。」と思われる方もいたり、「そうね。若いからやっぱり子宮取るのはつらいわね。」と思われる方もいたり。でも結局その時の私は浅はかだったんです。


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