原 千晶さんの講演(1)
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原 千晶さんのご登場です。
今日はこのような大変意義のある回にお招き頂き有り難うございます。
先程の先生方のご講義を楽屋の方で聞いておりましたが、がんという病気に対する意識というのがまだまだ変わらない部分、検診率もなかなか上がらない部分はあると思いますが、きっと今日ここにお越し頂いた皆様はそれぞれ一人一人の背景があってきっと何かこの会で得ようと考えてお越し頂いてると思います。今日は約1時間少しですが、私のがんに経験を率直にお話しさせて頂こうと思います。 この間40歳になったのですが、この10年間はがんというものに向き合わざるを得ない10年間でした。今ここに立って皆さんの前でお話しさせて頂くことも自分としては大変嬉しく思っていますし、ちょっと前までなら考えられない状態でもありました。今日のこの講演の後も、お話ししたことが会場を飛び出てがん検診の大切さというものが少しでも多く伝わるようにと願ってお話しさせて頂きます。私自身の経験ですので、皆さんに当てはまらない場合もありますがどうか聞いてください。
私自身の病歴をお話しします。実はがんだけでなく、10歳の時に甲状腺機能亢進症(バセドウ病)という病気に罹ってしまい入院をしてメルカゾールという甲状腺機能が活発になるのを抑える薬をしばらく飲んでいました。そういうホルモンの代謝という点ではあまり良くないなあというところがありました。そういうことも抱えながら10代を過ごし20歳の時に芸能界へ入りました。そこからは本当に一生懸命自分も活躍したいということで頑張ってがむしゃらに20代を駆け抜けました。実は29歳の時に思うところがあり一年ほど芸能会のお仕事をお休みしたことがありました。その間にアロマセラピーの資格を取ったりして過ごして、そろそろもう一度芸能会のお仕事を頑張ってみようかなと思っていた矢先のことでした。急に体調がガクっと悪くなってしまったんです。
それは自分の中でも衝撃で「おかしいな。おかしいな。」と思いながら過ごしていたんですが、それも「年齢のせいかなあ。」と思いながら過ごしていました。しかしいよいよ病院に行こうと思うことがおこりました。下腹部にドーンと重い鉛を抱えている様な嫌な感じの痛みが続くようになりました。通常であれば生理の前後に腹痛があります。私も生理痛は重たい方だったのでそうであれば普通だったのですが生理ではない時もお腹がずーっとシクシク痛かったんです。それと体勢を立ったり座ったりと変えるときに差し込まれる様な痛みが下腹部に走るようになり「なんだろう。痛みが続くのはおかしいな。」ということで紹介してもらったクリニックに行きました。
術後の経過はすごく良く次の日から何でも食べられる状態であっけなく済んで術後3日後にはお家に帰っていました。本当にあっという間で「こんなんだったらもっと早く手術受けとけば良かったな。」と思うぐらい体調も良くなって、それまで続いていた腹痛やおりものの異常や出血が続くといったこともなくなり、ウソのように良くなったんです。
ちょっと話は逸れますが、父はずっと転勤族で私は北海道の帯広市で生まれました。その後も各地を転々としココ大阪にも幼稚園の時に枚方市に住んでいたこともありましたし、その後もまたいろいろと転々としてたのです。私がその病気になった当時は両親とも北海道に戻って住んでおりました。
先生のいる前の椅子に座ろうとした瞬間に「こないだの取ったあれだけどね。がんだったから。」と本当に突然とあっさりと言われたんです。がんの種類は扁平上皮がんといわれる子宮頸がんの中ではスタンダードなタイプのがんでステージは1Aの病期でした。各地いろいろ講演させて頂この話をさせていただくたびにこの話を冒頭にするんですけど、本当にその時の心境は大きなハンマーで後頭部を殴られたような衝撃で、冗談でも何でもなく「ガーン!!」という心境で頭は真っ白になりました。先生は続けて「調べた結果あまり顔つきのよくないものだったし、再発したりしたら大変だから、今度は早いうちにお腹を切って子宮を全部取った方がいいと思う。」と言われたんです。私はがん告知も非常に衝撃的だったんですが、子宮を取らなくてはいけないっていう先生の言葉の方がびっくりして絶句してしまい涙が止まりませんでした。
この言葉、あとになってからすごく身にしみてくるとは想像も出来なかったんですが、その時の私はその言葉の重みを全く理解することが出来なかったんです。出産しこの手に我が子を抱いてみたいと思う私にとって、先生の「子宮は全部取った方が良い。」という宣告はあまりにもショックでした。その時は先生の話を半分も聞くこともできずに泣き崩れながら帰りました。その時に母が「お母さんはあなたがいないと困るのよ。」と涙をこぼしながら訴えかけてきたんです。確かに「ここで死ぬわけにはいかない。」と思ったんですが、私にとって、がんと言われたからイコール死だとかではなくて、子宮を取らなくてはいけないという宣告の方がずっとずっと重たくて心の中にズシーンと響いたままでいました。
そこから私の気持ちとしては「がんかあ。とんでもないことになったな。まさか私にそんなことが降りかかるとは。ましてやまだ30歳という年齢でがんという二文字が迫ってくるなんて。」という心境でした。でも「そうはいっても円錐切除手術で悪いところはきれいに取ったんだ。」と考えました。そして先生にも「悪いところはきれいに取ったんですよね。今私の中にはがんはないんですよね。」と何度も聞きました。先生は「悪いところはきれいに取りました。」と言いました。そう言われると「今このお腹の中にはがんはないのになぜ取らなくてはいけないの?」と思いました。医者として再発・転移を予防する予防的見地から、もう一度子宮にがんができないように、他の臓器に遠隔転移させないためにも子宮を取ろうということなんだろうし分かるんですが、今ここにがんがないのに女性にとって新しい命を産み育むものすごく大切な臓器を取らなくてはいけないのかがどうしても理解できなかったんです。
その手術は2005年4月12日に予定され同意書にもサインをしてもう一度詳しい検査をしたり、自己血輸血用の血液を400~800cc程採っておくこともして準備をしていました。しかしその準備期間が一1ヶ月程あるので一度は手術をしようと決めたものの振り子のように気持ちは揺れ続けるのでした。ある時を境にパーンと振り切れてしまいました。「なんで私ばっかりこんなに悩まなくちゃいけないの!苦しまなくちゃ行けないの!」とたまらない気持ちにまり「いいや。再度がんに侵されるかどうかは神様ですら分からないかもしれない。それは誰にも分からない。だったら何とか逃げ切って、いつか妊娠して出産してその時に子宮を取ればいいじゃないか。」というふうに考えてしまったのです。
結局、手術入院の前日に先生にキャンセルの電話し、翌日先生に直接話しに行きキャンセルしました。その時先生からは「じゃあ経過観察のために月に一回は必ず検診を受けるように。」と言われそうすることにしました。
いまこの会場におられる方は様々なご意見があると思います。「バカだなあ。手術受けなくちゃ。」と思われる方もいたり、「そうね。若いからやっぱり子宮取るのはつらいわね。」と思われる方もいたり。でも結局その時の私は浅はかだったんです。 |