鎌田實先生の講演(2)
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38億年前、それまでなかった生命がアイスランドのイスキヤ地方で生まれたと言われています。 奇跡的に生まれた単細胞の命。その小さな生命は代謝をはじめます。生きているものはすべて代謝をしてその代謝が終われば死を迎えます。 しかし、その時、生命は終わらなかった。なぜなら生命を後に伝えていくという仕組みを獲得したからです。それがずっと伝え続けられて、700万年前にアフリカで人間の祖先が誕生しました。それが今の現在までずっと伝え続けられてきたのです。 「我々はどこからやってきてどこへいくのか」を描いたゴーギャンの絵があります。その絵の意味、空海という宗教家の本を読んでいるうちに気づいたんです。
空海が命が終わるとなったとき弟子を集めてこう言いました。「生まれ生まれ生まれ生まれる生の始まりより暗く、死に死に死に死んで死の終わりに暗し」。暗いところから始まって暗い所に終わって行く、と説いたのです。 発生学を研究している三木茂夫先生はこう言っていました。母の胎内で十月十日にわたって人間は38億年の進化の過程を見せてくれると。僕たちが今ここにいるということは、38億年の間あった様々な困難を乗り越えてきたということ。三木茂夫先生は僕が医者になるときにいってくれました。「君たちはこれからいろんな人を診ることになります。生まれつき大きい子もいれば小さい子もいる、賢い子もいればそうでない子もいる、残念だけど身体の形がちょっと違う子もいる、でもどんな子供も38億年の命の歴史を生き抜いて生まれてきたかけがえのない命なんだ。瓜二つがないんです。でも瓜二つがないから大事なんです。かけがえのない命を診させて貰うことを忘れないように。」と。
すべての人がかけがえのない命を生きているということです。
命はそうやって38億年脈々と受け継がれてきたこと。 画家で芸術家のゴーギャンも「我々はどこからやってきてどこへいくのか。」を考えました。 宗教家の空海も「我々はどこからやってきてどこへいくのか。」を考えました。 三木茂夫先生も「我々はどこからやってきてどこへいくのか。」を考えました。 命は38億年脈々と受け継がれてきたということです。 人生は良いときもあれば悪いときもあります。
私は生まれて2歳の時に捨てられました。しかし拾われて育てられ今がある。母は持病を患っていてタクシーの運転手の父は貧乏とその母の病気の二つの困難を背負いながらも私を育ててくれました。 人は生きているって事は時々いろんな困難を抱えるんですね。病気を抱えることもあれば、借金を抱えることもあるし、子供の悩みを抱えることもあるし。みんな生きてるってことはいつか辛いことを抱えるんですよね。父は貧乏と母の重い病気の二つの困難を抱えていた。でも困難を横に置いておいておけるんですね。 父はその困難を横に置いて行き場のない僕を育ててくれました。お金の余裕があるから私を育てようとしたんではなく、お金がなく生きるのもやっとなのに私を育てようとしたのです。 人間こういうこともできるっていうことなんです。 私は大赤字の病院に就職しました。だからといって人生が終わったなどということは決してありません。そのうちに日本中から注目される病院になっていくわけです。
人生はすべて波ですよ。今悪い人は良いときが必ず来るんです。
そういうふうに思いこめるかどうかです。 あるがん患者さんが諏訪中央病院に東京から転院してきました。遠くから来られることはメリットないよとお断りしていたら、病院まで直接ご主人がやってこられて「再発と転移を繰り返してどうすることも出来ないと言われた。自分としては女房を出来るだけの養生をしてあげたい。山の見える病院で往生をさせてあげたいんです。」と。
それで転院をされてきました。転院してきたときは、ご飯も食べれなかった奥さんが凄く元気がよくなりました。お二人とも来て良かったと喜んでおられました。でも本当の病状はよくなっている訳ではないんです。がんはどんどん進んでいきました。 食事も食べることができなくなってきたある日、三人で横に並んでまどの外を見ながら話していました。僕はまだこの人たちに何か出来ることはないだろうかと考えました。 僕の本の中で書いたことですが命って3つの繋がりの中で生きています。
1)人と人のつながり 2)人と自然のつながり 3)体と心のつながり がんになるというのはこの3つが崩れやすいんです。この3つをどうにか修復してあげると生きる力が出てくるんです。いつもこのようなことを考えています。そこでこの人にどうしたらいいんだろうと考えました。 窓の外には八ヶ岳が見えます。この夫婦は2年前に山で知り合いました。山が好きな夫婦だったんですが、もう山に行く体力はない。そこでふと目線を下げるとそこには素敵なグリーンプラントの庭が見えたんです。山には行けないけどご主人に庭にテントを張ってもらって、山に行った様な雰囲気にしてあげるのはどうかと思ったんです。ご主人に飯盒でご飯を炊いてもらったらご飯を食べられるかもわからないねと、言ったんですね。ふとのぞいたら奥さんが嬉しそうな顔をしたんです。その顔を見たご主人がもっと嬉しそうな顔をして病室を飛び出して東京までテントと飯盒炊爨の道具を取りに行きました。 病院の看護師たちもそれを実現しようとしました。奥さんが気分が悪くなった時は元気になったら庭に出て飯盒炊爨しようねと声をかけるようになりました。 でも結局それはかなわず、何もしてあげることが出来ず彼女は亡くなりました。 亡くなった後ご主人が東京から来た時に「力及ばず申し訳ありませんでした。」と僕が言ったら「先生、救われました。僕は夫として妻に何も出来ないと自分を責めていた。しかし先生から仕事をもらえた。それが希望になった。女房もあの後一度も愚痴を言わなかった。どんなに苦しくても良くなったら飯盒炊爨したいと言ってました。最後の最後まで希望を持っていました。」
人間が生きて行く上で希望はすごく大事です。どんな状態にあっても希望は大事なんです。それは震災にあった人も難病になった人も、あるいはがんになった人も、あるいは仕事を失った人も、全部希望は大事なんです。 |